天上の海・掌中の星

    “闇夜に嗤(わら)う 漆黒の。”
 



          
幕間



 河原を見下ろす土手の上。川にかかる鉄橋をゆくそれだろう、電車の轍の音が遠くに聞こえた。ああ、そろそろ帰らなきゃなと思いはするんだけれど。吹く風に桜並木がゆらゆらたわむのが、どこか夢の中の風景みたいに見えて。いつまでもいつまでも、それから眸が離せなくって。すぐにも宵の暗さに追い立てられて帰ってた頃に比べると、陽が長くなったよなぁと思う。
「…帰らなきゃな。」
 ついつい見とれたのは桜があんまりきれいだったから。そうだ、ゾロにも話してやろう。凄げぇ綺麗だったぞって。早く観に行かなきゃあ、すぐにも葉桜になっちまうぞって。でもなあ、ゾロも商店街の裏の線路沿いの桜、毎日見てるからなぁ。駆け出した背中でデイバッグが躍る。宅配のだろうか、スクーターの発進する音。スニーカーがアスファルトを叩くように駆けてる音は、塾に行く小学生たちかな? あ、あれってウチの中学の制服だ。こっちから通う後輩がいたんだなぁ。歩道に広がって歩くんはよくねぇぞ。今は急いでるから注意はしねぇけど。ばたばた、ばたばた。つむじ風みたいな勢いで、何か火急な状況なのかと思うほどの勢いで。まとまりの悪い黒髪 撥ねさせ、丸いおでこを全開にして。中学生だと言って十分通用する、ブレザー姿の小柄な男の子が住宅街を駆けてゆく。たかたか、たかたか。何かと競走でもしているかのような、ちょっぴり楽しそうな走り方。ゴールでよっぽど楽しみな何かが待っているのだなと思わせる、そんなお顔だってのは、残念ながら暮れなずむ中なので確認しにくく。でも、あのね? そうだってことが判るタイミングがあって、

  「たっだいまっ!」

 アルミの門扉をキキィと押し開け、返す手首だけでガッチャと閉じて。突っ込むように玄関へ駆け込み、ドアに手を掛けながらのお声を放てば、
「くぉら、何度言ったら判るんだ。」
 門扉を叩き閉めるのはやめろといつも言っとろうがと、菜箸片手にまずはお説教の声が飛んで来て、
「弁当箱、出せよ。」
「うんっ!」
 真っ直ぐ飛び込んだキッチンでは、エプロン姿の背の高いお兄さんが夕飯の支度をしつつのお出迎え。お帰り、今日はちょっと寒かったろ。うん、でも走ったらすぐにも暖ったまったぞ? デイバッグから掴み出した、水色の巾着袋に入れたお弁当箱。ちゃんと中身を出して流しへつける坊やはルフィといって、この春からV高校の新三年生になったというから、月日の経つのは早い早い。
「今日は何だ? テンプラか?」
「残念、タケノコと合挽ミンチの挟み揚げだ。」
 今日のニュースショーの料理コーナーでやっててな、小野寺さんチの奥さんから、山ほど貰ったタケノコがまだあったから使ってみた。あとはポテトサラダと、海鮮角天をフキと煮たのと、ハクサイと椎茸とキクラゲ、にんじん、溶き玉子を流して仕上げた具だくさんの春雨スープ。
「やたっ! 俺、そのスープ大好きvv
 ガスコンロの前に立ってるお兄さんの腕の隙間から、何とかして鍋を覗こうとするものだから、
「判ったから、とっとと手を洗って来い。」
 小さい子供かお前はと促せば、ほ〜いっ♪と楽しそうに洗面所へ。いちいち口うるさく叱ってるようにも見えるけど、何の、躾けは結構行き届いている方ではなかろうか。
“そりゃあ俺が一々チェック入れてるからな。”
 おたまを手にまんざらでもないというお顔になる破邪様で。はいはい、自慢の坊やだってのは、こっちにだって重々判っておりますよ。
(苦笑) 新しい季節、新しい年度。進級した坊やは、特に代わり映えはしない高校生生活を順当に送っており、所属する柔道部にも頼もしい後輩がたくさん入ったから、これで次の大会も安泰だと、一丁前なことを言ったりし。
「お前自身はどうなんだ?」
 お代わりっと勢いよく差し出されたお茶椀へ、3杯目のご飯をよそってやってから。こちらさんは炙った角天に生姜醤油をかけたのを肴に缶ビールを空けながらという、夕食というより晩酌モードでお付き合いしつつ問いかければ、
「ん〜、別になんてないけどな。」
「嘘をつけ。大学からのスカウトマンが、ちょろちょろと顔を出してるらしいじゃないか。」
 あやや、そうかあれか〜と、指摘されて初めて気がついたというような反応を見せた彼だったから、そんな大層なもんじゃあないという認識しかなかったらしいけれど、
「顧問の先生から電話があってな。大昔のプロ野球のスカウト合戦じゃあるまいし、とんでもなく高価なものを並べての買収だの懐柔だのなんてのはないとは思うが、最近は柔道だってオリンピック以外でも何かと注目されてるスポーツだから。これはっていう目玉選手はどこだって欲しいに違いない。保護者の方へと働きかけてくるケースもあるやもしれないし、食べ物で釣られる恐れも大有りだから、お前にも重々気をつけてやって下さいねってよ?」
 そですよね。話題になったり人気が出たりするような選手がいれば、大学の知名度も上がりますものね。実力あっての話題なら、在学中の大会でも華々しい活躍が期待されるし、企業のように直接の利益はなくっても、宣伝効果は抜群…となれば、どこの大学でも狙って来るのは必至であり、
「…う〜ん。俺が食い物に弱いってとこ、よく掴んでるよなぁ。」
 もぐむぐと、頬っぺの形が変わるくらいにフライを詰め込んだお口を動かしながら、何ともかんとも…なんて呟きつつ感慨にふけっているところは、相変わらずのお呑気さ健在の坊やだったが、
「まあ、気をつけろってのは俺も言いたかったことだからな。」
「そか?」
「ああ。」
 ちょっとした買い食い程度のおごりでも、向こうにしたら“餌付け”もどきの顔つなぎって意味があるに違いない。だってのに、いざ進学って時に自分のところを選んで貰えなかったら、
「あんなにおごってあげたのにぃって、逆ギレされるかもしんないぞ?」
「ふやや…。」
 大人なのにか? 大人だからだよ。大人が子供を苛めんのかよ。大人ってのは打算で一杯なんだ、お前みたいなひよっこなんて、ひょいって簡単に理屈でひねれるかんな。
「契約ってのは口約束でも成立するんですよとか、こっちが何にも知らないのをいいことに勝手なことを言い出されて。そんなのへあっさり丸め込まれてちゃあ詰まらんだろうが。」
「うん。」
 さすがに先々のことだからか、お箸を置いてまで困ったというお顔をした坊やには、さすがに脅かしすぎかな、可哀想だったかなと思ったか、
「要は後々で足元を掬われないように気をつけなってことだ。」
 なに、妙な言い掛かりをつけて来やがったらそれはそれで、俺やお前の父ちゃんたちがまずは黙ってはいないんだけどもなと。それを言っては何の牽制にもならないでしょうがというところまでを言っちゃって、坊やを安心させちゃうところが、こちらさんも相変わらずで。

  ――― ほれ、フライが冷めちまうぞ。
       あ、うん。これ、凄げぇ美味いvv

 甲斐甲斐しいお世話を受けながら、食べ盛りさんが満足そうに御馳走を頬張り、その嬉しそうな笑顔がまた、お給仕に勤しむお兄さんの気持ちを暖かく満たしており。なあなあ、後で川端まで花見に行かないか? 花見? おお、凄げぇ綺麗だったんだ。雨降ったらもう散っちゃうしさ。そうだな、なんか空模様が怪しいしな。な? な? だからその前に見納めに行こうよう。何から何まで相変わらずの、ほっかほかなお二人さん。世は なべて事も無しと、ブラウニングもびっくりの呑気さで、春の宵を過ごしておりまして…。







             ◇



 そんな呑気さで過ごす彼らだというのを、お茶受けにいかがとご報告した聖封さんへ、
「あらあら、平和だことvv
 聞いたこっちまで ほのぼのしちゃうわねぇと、ころころころと品のいい笑い方をした天水宮の主人にして破邪を統率する天使長様。執務上のことではない報告だったからか、デスク前ではなく、息抜きにと下がっていた居室のバルコニー。お気に入りの声のいいカナリアが間近の枝に止まって囀るのを、愛でるように聞いてから、

  「そちらへは何の動きもない、ということなのね。」

 独り言のような単調な声で呟いたナミさんへ、視線を落とし、やや俯いて控えてそのせいで、長いめの金の髪がお顔の半分以上をおおってる、麗しの聖封一家の御曹司、
「はい。」
 短く応じて、それから。
「わざわざお聞きになるということは。何か起きそうだということでしょうか。」
 それこそ わざわざ訊いて来た彼へ、いつの間にか…何という表情も浮かべてはいないという微妙なお顔になってたナミさんが、迷うように視線を揺らめかせてから、

  「起こってほしくはないのだけれど。」

 そう。杞憂で済んでくれれば良いんだけれどと、思うだけでは気持ちが落ち着かず。天使長だからって、何も予知能力があるでなし、単なる気分的なむずがりだろうと、思いたいからこその、話相手にとサンジを呼んだ。そこらにいる誰でも良いのではなく、わざわざサンジさんを選んだのは、深い洞察力のある彼だということとそれから、

  「あの坊やに何か起きそうだと?」

 その坊やとも関係が深いから。多くを語らずとも察してくれることへと甘えたかった。気のせいだと、思いたいけど…そうじゃなかったら?
「CP9という一派が有るのを知っている?」
「CP…?」
「CP9。cipher police 9。サイファーっていうのは“ゼロ”って意味だけれど、暗算という言葉でもあってね。機転の利くとか、勝手の良いとか、頭の回転が素早いって意味で名付けたらしくてね。」
 気が重いとありあり判る、浮かない顔をして、ナミは はぁあと溜息をついて見せた。
「先の騒動。あの、単なる気配をブラックホールに変えてくれて、その後あなたたちまで陽体にした坊やが所属しているの。」
「…ほほお。」
 何とも曖昧な合いの手になってしまったが、そこはご容赦。顔を上げたナミも納得の、何とも言えない微妙な顔をしていたサンジであり、
「そこまで判っている相手なんですか?」
「…厭味はやめてよね。あれから何カ月経ってることか。」
 すんでのところで、邪妖封滅エキスパートの最優秀工作員を、あまりに下らぬ事情から失うところだった一大事だったのに、
「ゼフさんも くれはさんも心辺りがないっていうし。アンダーグラウンドに網を張ってて、やっと掴めた情報がそれなのよ。」
 ナミさん自身からして、この天聖世界の重鎮だっていうのに、そんな坊やの存在なんて寝耳に水も良いところで。

  「しかも、あんまり良い噂じゃあなかったのよね。」

 だから、あなたたちやルフィに、関わりが生まれなきゃあいいのだけれど。春を司る天使長様は、再びの溜息をつくと何とも物憂げに、サンジさんが心配してしまうほど、その細い肩をがっくりと落として見せたのでありました。











to be continued.(06.4.14.)
 


  *あんまり放っておいても何なので。

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